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キツネ再び

オーストラリア

あれから2週間がたち、もう一度『キツネ』について。

 キツネ Fox (Margaret Wild & Ron Brooks) - 子供の領分 Le Coin des enfants

 

キツネ 大型本 – 2001/10
マーガレット ワイルド (著), ロン ブルックス (イラスト)

出版社: BL出版 (2001/10)

 

動物が擬人化されているところは、ちょっと「イソップ物語」や「ラ・フォンテーヌ寓話」を連想させるが、教訓めいたところはない。open endingというのか、読者の解釈の自由に任されているところは大きな特徴だと思う。そして付け加えるなら、happy endingでは全然ない。

 

絵本であること

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Look! A New Exhibition on Illustrated Books — The Wheeler Centre

 

みなさんのコメントおよび、マミーさんのブログ記事、shellさんの数回にわたる「キツネ考」を読ませていただき、大変参考になった。お礼を言いたい。

これはまず絵本なので、「作家さんにとって、子供向けとか大人向けとか関係なく、ストーリーを最もいい形で表現できる方法が絵本…」という志月さんの指摘から始めるべきだろう。

『キツネ』はタスマニア在住のRon Brooksによって描かれるべき絵本であった。オーストラリアの山火事や荒れ地、自然の過酷さや美しさなど、あの地で生きている者にしか表現できないものがあると思う。

そのうえでBrooksは、作家Margaret Wildのメッセージを受け取り、作品世界を作り出すのであるが、その強烈な個性といったら…。手書きの異様な文字はもちろんのこと、どのページも私たちの目を引き付け、逸らすことを許さないのだ。

色はなんといってもキツネの赤(オレンジというべきか)、そして補色となる美しい青が印象的で、そのあと茶系統や灰色も背景として見事におさまっている。

キツネは肢体の美を誇るかのように、横に縦に大きく長く描かれる。表紙もしかり。(前回の記事の写真参照)。豊かなふさふさの艶やかなファー。完璧な容姿に見惚れるばかりだ。森林火災から逃げのびてきたイヌやカササギと違って、キツネの外見には何一つ「傷」がない。外見には。

イヌとカササギー この組み合わせは意外であるが、両方ともケガを負い、ハンディキャップを持つという共通項がある。片目イヌと飛べないカササギ。

しかし互いに補完し助け合って友情を育み、しあわせな日々を送っていた。お互いがなくてはならない存在であるから、絆も健常の者同士より強いのではないだろうか。

季節は夏から冬へ、そして春が来たころ、キツネが登場する。目をギラギラさせて、赤いファーをまとっている謎めいたキツネ。

ネットで原文を読んでみると

・・・flickers through the trees like a tongue of fire

 

木々の間から赤い体がチラチラと見え隠れしている。それはまるで「火の舌」のようだとある。不気味だが美しい比喩だ。重大なドラマが起きることを読者に予感させる。西洋ではふつう、キツネのイメージは大変悪く、悪や狡猾の象徴であることが多いからだ。

 

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しかしイヌは警戒もせず温かく受け入れる。

ステレオタイプではあるが、犬はここでは疑いを知らぬ「善良」そのものとして描かれる。当初カササギを手厚く介抱してやり、心の傷も癒してやったイヌ。献身や心の優しさは賞賛すべき資質だ。しかし愛する者を守るには、優しさだけではだめなんだということも私たちはここで学ぶ。

カササギは危険を察知する敏感さを持っていた。五感を使って感じ取るのだが、その毒にも気づいており、不安になる。

・・・fill the cave a smell of rage and envy and loneliness

 

 洞穴を満たす怒り、妬み、そして孤独。

孤独なキツネにとって、イヌとカササギの友情は我慢ならない。見ているだけで腹がたつ。なんで奴らだけ幸せなのだ!

 

マミーさんが書いている。

キツネの羨望と嫉妬、それゆえの行動。
思わず目をそらせてしまいたくなる情念ですが、これも確かに人間の感情のひとつだと思うと、その悲しさに身が震えます。

焼けるような、あのオーストラリアの野火の如き、燃えるような「羨望と嫉妬」なのである。これを鎮めるにはカササギの最も弱い部分を攻めるしかない。キツネに愛はない。言葉巧みに誘う。自分の手管に自信もあるだろう。

カササギは欲に負けてしまった。イヌの背に乗って走っているとき、こんなのは、飛ぶことじゃない、と思ってしまう。わたしは飛びたいのだ。かつて羽があったときみたいに。残酷ではあるが、みすぼらしい片目イヌと美しいキツネとを比べてもみただろうか。

イヌを裏切り、友情と幸せの日々を捨てた代償は大きかった。つまりイヌの待つ洞穴に、生きて無事帰れるかわからないほど遠くまで来てしまったからだ。後悔してなんとか贖いたいと思うカササギだが。(open ending)

 

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(現在、背景画像にしている絵です。ピンタレストから借りています)

 

Jさまはこのように書いている。

他の方も書いていますが、「絵本=子供向けの寓話」・・と言うステレオタイプを一発で打ち砕く、破壊力のある一冊です。

でも、この本を通じて著者の発するメッセージは「子供への問題提起」とは、考えられないでしょうか?

例えば、イジメ。 なぜイジメるのか? イジメられたらどんな思いか? キツネとカササギは、そのメタファーではないでしょうか?

 おっしゃる通り、「問題提起」は子供の年齢に応じて、そして私たち大人にも広く投げかけられている。イジメ問題はよい例である。

J.パーキンソン (id:PSP-PAGF)

Jさま、ありがとうございました。

 

私は何度もこの本を読み返してみて、子供には8歳くらいからが適切かなと思っている。人は心の闇、深いところに潜む悪意を持っているのだ。私たちの心にキツネはいると思う。そのことを子供と率直に話してみたらいいと思う。

 

この話から学ぶこと

この三角関係にもう一つ「猜疑心」(さしずめイヌの役柄)が加わったら、シェイクスピアの悲劇になるのかもしれない。人間のもつ本質的な感情ー 愛、嫉妬、裏切り、後悔、欲望、猜疑などはドラマのエッセンスであるから。

とはいってもこの話はそんな悲壮なものではなく、最後はわずかだが希望を残している。結局のところ、キツネの話ではなく、カササギの話だった。刺激や新奇なものに心惹かれたカササギ。イヌとの生活に少し退屈してだろうか。仮初めの喜び、それは偽りの喜びだった。大切なもの、イヌとの友情を裏切ってしまった。そしてやっと自分にとって本当に大切なものがわかったのである。高くついたレッスンであるが、私たちはカササギの帰宅を祈り、喜ぶイヌの顔を心に描こう。

 

新しい寓話・現代の寓話『キツネ』

終わります。

 

 著者についてはこちら(英語)

alchetron.com